学位指導は楽しい

オファーを検討する時には特に念頭になかったが、就職してから気付いた今の職場の加点要素として「修論・博論の指導に携われる」点は大きいように思う。

 

自分は大学教員として給料を貰っているが、研究者であることが自分にとって一番大事なアイデンティティであるため、修論・博論というpublishableな研究成果を生み出す場に携われることは大変にやりがいがある。

大学教員という仕事に特有の美点として、知的に成長する学生の教育に携われる点は揺るぎないように思われる。学生たちの見せる成長や成果に貢献出来るのは、個人の幸福と社会の向上に資する手応えが明確にあり、大変にやり甲斐がある。

 

もちろん学生が生み出す成果そのものも読んでいてワクワクするのだが、同時に、指導方法を考えることで着想から論文に至る過程とそこで発揮されるべき能力についてメタレベルで考えることが非常に勉強になる。

 

自分は研究者として、学位論文(修士論文・博士論文)の最終到達点は身を以って知っているのだが、徒手空拳から始めて、「短期スパンで実現可能な小目標を設定して、その積み重ねによってゴールを目指す」という、指導内容の設定はまだまだ試行錯誤の途上にある。これも、自分自身の学位取得と同様に、教育者として「一周走り切る」ことでしか身に付かない知見と体感があるのかもしれない。

 

現職場では学生・教員双方の希望に基づいて指導学生を選んでいくのだが、自分の場合、博士課程への出願や論文出版に特に意欲がある学生を選んだため、「なんとか卒業を目指す」のではなく、「優れた研究成果を出す」ことに専念できるにも良い。こうした選択が出来るのも今の職場の良いところだ。地味に、指導も執筆も全て英語で英語圏の学位水準というのもありがたい。

 

まさか駆け出しの教員が学位指導を出来るとは思っていなかったので、着任前に書いた目標では、教育の一環として外部で学位審査などに携わりたいと書いていたが、就職先でその上位互換となる機会が与えられたので杞憂であった。この機会を最大限活用しなければ。