高階秀爾『日本近代美術史論』の、黒田清輝についての章の中で、黒田が9年の留学を終えて帰国する直前に書いた手紙が引用されている。
もう四五ねんもこつちにをつたならすこしハせけんにしられるようになるかもしれませんがざんねんです
いまこれからといふときになつたところでかへつていくのですからかなしいもんです
だがしかたハございません
につぽんへかえつてからてがさがらなけれバ良いがと思つてをります
せいようじんハ一せうべんきようをしておるのににつぽんじんハながくて十ねんばかりきり
それからにつぽんへかえつてゆくとせけんのやつがなんにもできないもんですからすぐにひとりてんぐになつてしまいなんニもできないようになつてしまいます
わたしもそういふようになつてしまうのかと思ふとみがずつといたします
これは人文学で長期留学をしてその後帰国を余儀なくされた人なら通じるところが多いのではないか。自分も黒田の寂しさと虚しさ、堕落への危機感に共感する。
慢心せずに踏ん張らなければ。