黒田清輝の憂鬱

高階秀爾『日本近代美術史論』の、黒田清輝についての章の中で、黒田が9年の留学を終えて帰国する直前に書いた手紙が引用されている。

 

もう四五ねんもこつちにをつたならすこしハせけんにしられるようになるかもしれませんがざんねんです

いまこれからといふときになつたところでかへつていくのですからかなしいもんです

だがしかたハございません

につぽんへかえつてからてがさがらなけれバ良いがと思つてをります

せいようじんハ一せうべんきようをしておるのににつぽんじんハながくて十ねんばかりきり

それからにつぽんへかえつてゆくとせけんのやつがなんにもできないもんですからすぐにひとりてんぐになつてしまいなんニもできないようになつてしまいます

わたしもそういふようになつてしまうのかと思ふとみがずつといたします

これは人文学で長期留学をしてその後帰国を余儀なくされた人なら通じるところが多いのではないか。自分も黒田の寂しさと虚しさ、堕落への危機感に共感する。

慢心せずに踏ん張らなければ。

仕込み段階

やっと今学期の教育・事務が片付く見込みが立った。ここからは研究に割く時間を増やせそうだ。

目下最も忙しいのは修士論文の指導だが、受け持ち学生が短期間の間に一気に力をつけて研究成果を形にする勢いと成長速度に刺激を受けて、自分も修論くらいの分量のなにか(12,000-15,000 words)を書き下ろしたい気分になっている。

学生から刺激を受けている。

修論指導に関してパートナーから金言を得た。自分の修論指導の方針や厳しさについて反省をしていたら、彼女から

「あなたが手綱を引き締めようが緩めようが、書く学生は書くし、書かない学生は書かないのだから指導の強度など気に病む必要はない。教員が学生の人生に対して及ぼしうる影響力を過大評価するな」

と言われた。これが同業者だと「ではどう指導するのがよかったか」という話になりがちだが、「そもそもお前の影響はそこまで大きくない」と外部の目から指摘されるのは大変にありがたいし、視界が開ける。

また、大騒ぎしてきた件について、まだ結果は出ていないのだが、結果が出ていないという事実から察して駄目だったと割り切った。

割り切ってみれば不思議に気持ちが切り替えられて、新しいプロジェクトに全力投球しようと思えてきた。

そんな新規ブロジェクトであるが、「二周目の経験値を活かした理想の博論」を目指している。

資料の探し方、先行研究の探し方、執筆のスケジュール、途中経過の成果発表など、自分の博士課程の過ごし方には色々と悔いが残るが、そうした修正点を全て改めた上で、博論相当の分量と意義のある成果を3年以内に生み出して、書籍化を目指そうと思っている。

これには大変なやりがいがある。

面接終了!

ロンドンとマンチェスターでの面接が終わった。

まだ結果は出てないがとにかく出し切ったし楽しかった!!!

プレゼンとインタビューを通じて自信が持てたのが、今いる場所での日常やこれまで積み上げてきた経験は英国圏のアカデミックジョブマーケットで通用する。

そのことに心底から自信が持てたので結果は気にならない。

また、中国での暮らしを経て、英国の美点と欠点を相対的に眺められたのも良かった。

中国で感じるような何が起こるかわからない、未来が作られていくような荒削りな可能性は英国にはないが、英国の多様性や風通しの良さ、大学の「空気」の素晴らしさなど再確認できた。

思うに、自分は他者に憧れて外国に行きたかったのだ、単に。そして、数年前までは英国が唯一イメージできる外国だったのでそこでのポストを熱望した。だが、中国を知ったあと、「なにがなんでも英国!」とは思わなくなったなあ。

外国でワクワクしながら人文学研究を続けられればそれでいいや。

 

どこに住みたいか

ロンドンは無条件にワクワクした。叶うならここに住みたいと思うが、とにかく物価が高過ぎる。テニュア持ち大学教員になってロンドン補助が付いたところでロンドンで文化を享受するには全く足りないだろうし、文化を享受できないならロンドンに暮らす意味もそこまでないかな。

では、マンチェスターはどうか。ロンドン・上海の繁栄を知ってしまった身としては、活気のなさ、感傷を刺激する寂しさがやや気になった。

街一番の繁華街を歩いていたときに、切なくて泣きそうになってしまった。季節が悪いのかもしれないが。

英国を歩きまわっていて感じたのだが、1年間暮らしたことで、自分の中で中国という参照軸が出来ており、別の国を見るときの物差しの一つになっている。

これによって変な憧れや絶対視をしなくて済むようになっており、より良い世界市民になれている感触がある。

イギリスにはどの都市にも友がいる(それが嬉しく、訪れる甲斐にもなる)

身も蓋もないことを言ってしまえば、今の職場は一年で400万円の貯金は余裕で出来るので、3年間で1200万円(£60,000)ほど貯金が出来たあたりでロンドンに移籍すれば豊かな暮らしが出来そうだと計算してしまうね。

 

サバティカルとか海外出張とか

新年度の始まりということで、大学教員のサバティカル報告をたびたび見かける。

自分は少し前までそうした海外駐在やサバティカルがものすごく羨ましかったのだが、最近は少し考えが変わってきた。

充実した数年間の短期滞在を得るよりも、研究者として総本山に通用するフルメンバーであり続けることの方が遥かに重要で価値があると心から思う。

そのためには業績を出し続けること、生きたネットワークを維持し、育てていくことで、マラソンにも似た共同体的な営為としての学術的探究の道を進み続けなければならない。自分が心より目指して憧れているのはそちらの道である。

「短期滞在のお客さん」と「フルメンバー」との違いを体感レベルで知ること、それを自身のポジション取りや目標設定に反映するか否かで、同じ大学教員・研究者という職業の中でも見えている世界が全然違う。

自分の見知った研究分野(日本以外をフィールドとする人文社会)の場合、日本を主戦場とする研究者が海外サバティカルを一年経験しても、「2024年に最先端に一瞬だけ触れたものの、2034年になってもそこから更新されない人」になって終わる危険があると感じる。それが嫌ならプロとして足腰と地力を鍛えないと話にならない。

こうした考えに至った経緯として、インダストリーで働くパートナーの影響は挙げられる。彼女はフィールドとしている地域の市場動向の調査やネットワーキングのために、2−3ヶ月に一度は必ず海外出張に行っており、「海外滞在によって土地勘を得る」ためにはこれくらいのことが必要なのだと横で感心しながら見ている。

そんなわけで、自分も4月、6月、8月に欧州出張の予定を入れた。現地の共同研究者に会って、国際学会に通う予定である。これでどうなるかは分からないが、少なくとも続けていこう。

たとえば、8月の学会ではロンドン大学の指導教官から誘われて学会のパネルを組むのだが、この話が来たのは自分が「活きた研究」をワーキングペーパーとして回していたからで、研究者として衰えたら、疎遠になり、留学中に築いた紐帯は消えていくのだろう。それが怖いし、寂しいし、研究者として不甲斐ない国際査読ジャーナルに投稿し続ける動機なるものが自分にあるとすれば、実はこうした感傷なのかもしれない。

 

最後に、「2034年になっても2024年のサバティカルの知見から更新されない人」と冷笑的に評したが、そうした人生においてたびたび振り返り慈しむことができる「輝かしい時期」がある人生は豊かだとも思う

上海当代美術博物館

上海当代美術博物館に行ってきた。最初はテートモダンを連想したが、それに留まらない奥行きとスケールで独自の境地に達していた。

現代美術に没入するためには空間的な広さは必要で、広大さを強みとする中国と相性が良いように思った。

 

 

本当に辛い時や試される時に自分を支えてくれるもの、絶対に奪われない財産について考えていた。

研究者としての実績、世に出た研究成果や職場で積み上げた教歴、学務の数々。こうしたプロとしての『CVに現れる成果』は言うに及ばず。

最近は広義の経験もそうした自信の根拠に入ると思えてきた。読んできた本、心動かされた映画や演劇、訪れた場所、出会った人。これらの経験も辛い時に自分を支える力がある。思うにこれらは資産ではなく、自信の根拠、誇りの拠り所なのだろう。

 

なぜ誇りが必要かというと追うべき志があるから。自分にとっての志は、最高の場所を目指して、そこで見られる景色を書き記すこと。

それを研究者として落とし込むなら、「最高峰の媒体から研究業績を出して」「最高の環境のジョブマーケットに参画すること」に尽きる。

夜郎自大にもなりたくないし、居直った鎖国も息苦しいし、サバディカルや国際会議でのお世辞に舞い上がるような「お客さん」にも留まりたくない。

海外に総本山がある分野の人文学者としてそれを目指すのは非合理的なまでに大変なのだが、志してしまった以上仕方がない。