面接終了!

ロンドンとマンチェスターでの面接が終わった。

まだ結果は出てないがとにかく出し切ったし楽しかった!!!

プレゼンとインタビューを通じて自信が持てたのが、今いる場所での日常やこれまで積み上げてきた経験は英国圏のアカデミックジョブマーケットで通用する。

そのことに心底から自信が持てたので結果は気にならない。

また、中国での暮らしを経て、英国の美点と欠点を相対的に眺められたのも良かった。

中国で感じるような何が起こるかわからない、未来が作られていくような荒削りな可能性は英国にはないが、英国の多様性や風通しの良さ、大学の「空気」の素晴らしさなど再確認できた。

思うに、自分は他者に憧れて外国に行きたかったのだ、単に。そして、数年前までは英国が唯一イメージできる外国だったのでそこでのポストを熱望した。だが、中国を知ったあと、「なにがなんでも英国!」とは思わなくなったなあ。

外国でワクワクしながら人文学研究を続けられればそれでいいや。

 

どこに住みたいか

ロンドンは無条件にワクワクした。叶うならここに住みたいと思うが、とにかく物価が高過ぎる。テニュア持ち大学教員になってロンドン補助が付いたところでロンドンで文化を享受するには全く足りないだろうし、文化を享受できないならロンドンに暮らす意味もそこまでないかな。

では、マンチェスターはどうか。ロンドン・上海の繁栄を知ってしまった身としては、活気のなさ、感傷を刺激する寂しさがやや気になった。

街一番の繁華街を歩いていたときに、切なくて泣きそうになってしまった。季節が悪いのかもしれないが。

英国を歩きまわっていて感じたのだが、1年間暮らしたことで、自分の中で中国という参照軸が出来ており、別の国を見るときの物差しの一つになっている。

これによって変な憧れや絶対視をしなくて済むようになっており、より良い世界市民になれている感触がある。

イギリスにはどの都市にも友がいる(それが嬉しく、訪れる甲斐にもなる)

身も蓋もないことを言ってしまえば、今の職場は一年で400万円の貯金は余裕で出来るので、3年間で1200万円(£60,000)ほど貯金が出来たあたりでロンドンに移籍すれば豊かな暮らしが出来そうだと計算してしまうね。

 

サバティカルとか海外出張とか

新年度の始まりということで、大学教員のサバティカル報告をたびたび見かける。

自分は少し前までそうした海外駐在やサバティカルがものすごく羨ましかったのだが、最近は少し考えが変わってきた。

充実した数年間の短期滞在を得るよりも、研究者として総本山に通用するフルメンバーであり続けることの方が遥かに重要で価値があると心から思う。

そのためには業績を出し続けること、生きたネットワークを維持し、育てていくことで、マラソンにも似た共同体的な営為としての学術的探究の道を進み続けなければならない。自分が心より目指して憧れているのはそちらの道である。

「短期滞在のお客さん」と「フルメンバー」との違いを体感レベルで知ること、それを自身のポジション取りや目標設定に反映するか否かで、同じ大学教員・研究者という職業の中でも見えている世界が全然違う。

自分の見知った研究分野(日本以外をフィールドとする人文社会)の場合、日本を主戦場とする研究者が海外サバティカルを一年経験しても、「2024年に最先端に一瞬だけ触れたものの、2034年になってもそこから更新されない人」になって終わる危険があると感じる。それが嫌ならプロとして足腰と地力を鍛えないと話にならない。

こうした考えに至った経緯として、インダストリーで働くパートナーの影響は挙げられる。彼女はフィールドとしている地域の市場動向の調査やネットワーキングのために、2−3ヶ月に一度は必ず海外出張に行っており、「海外滞在によって土地勘を得る」ためにはこれくらいのことが必要なのだと横で感心しながら見ている。

そんなわけで、自分も4月、6月、8月に欧州出張の予定を入れた。現地の共同研究者に会って、国際学会に通う予定である。これでどうなるかは分からないが、少なくとも続けていこう。

たとえば、8月の学会ではロンドン大学の指導教官から誘われて学会のパネルを組むのだが、この話が来たのは自分が「活きた研究」をワーキングペーパーとして回していたからで、研究者として衰えたら、疎遠になり、留学中に築いた紐帯は消えていくのだろう。それが怖いし、寂しいし、研究者として不甲斐ない国際査読ジャーナルに投稿し続ける動機なるものが自分にあるとすれば、実はこうした感傷なのかもしれない。

 

最後に、「2034年になっても2024年のサバティカルの知見から更新されない人」と冷笑的に評したが、そうした人生においてたびたび振り返り慈しむことができる「輝かしい時期」がある人生は豊かだとも思う

上海当代美術博物館

上海当代美術博物館に行ってきた。最初はテートモダンを連想したが、それに留まらない奥行きとスケールで独自の境地に達していた。

現代美術に没入するためには空間的な広さは必要で、広大さを強みとする中国と相性が良いように思った。

 

 

本当に辛い時や試される時に自分を支えてくれるもの、絶対に奪われない財産について考えていた。

研究者としての実績、世に出た研究成果や職場で積み上げた教歴、学務の数々。こうしたプロとしての『CVに現れる成果』は言うに及ばず。

最近は広義の経験もそうした自信の根拠に入ると思えてきた。読んできた本、心動かされた映画や演劇、訪れた場所、出会った人。これらの経験も辛い時に自分を支える力がある。思うにこれらは資産ではなく、自信の根拠、誇りの拠り所なのだろう。

 

なぜ誇りが必要かというと追うべき志があるから。自分にとっての志は、最高の場所を目指して、そこで見られる景色を書き記すこと。

それを研究者として落とし込むなら、「最高峰の媒体から研究業績を出して」「最高の環境のジョブマーケットに参画すること」に尽きる。

夜郎自大にもなりたくないし、居直った鎖国も息苦しいし、サバディカルや国際会議でのお世辞に舞い上がるような「お客さん」にも留まりたくない。

海外に総本山がある分野の人文学者としてそれを目指すのは非合理的なまでに大変なのだが、志してしまった以上仕方がない。

やる気出てきた

来月には欧州出張がある。

自分の英国での用事と合わせてパートナーが東欧での仕事が出来たので、いっそのこと二人とも同時に行くことになった。単純に旅行として楽しみである。

それはそれとして、各種の準備・仕込みは順調に進んでいる。本番で聞かれそうなことを考えると、自分の研究や展望、教育哲学や日々の実践、具体的な成長と改善について、ある程度の切実さを持って言語化できる。

生活に張りが出るね。今後もこういう機会を持ちたい。

とにかく今は、勉強するべきこと、調べるべきことがたくさんあり、話すべき相手がたくさんいて、時間がいくらあっても足りないと感じる。この充実感がとても好きだ。

思い出すのは、『バトゥーキ』でBJが遊佐を煽る場面。「頂点と鎬を削り合わなければならない」「そのためにマッチメイクされる存在にならなければならない」「一流の環境で練習しなければならない」というあたり、自分の問題意識とも重なる。

 

 

『バトゥーキ』はこのBJと遊佐の出会いのくだりが相当好き

 

早朝、最良の時間

今週に入って、ようやく自分の研究に取り組む勢いが出てきた。ついでに論文とは関係のない「勉強としての論文読み」も捗っている。

もっとも、研究者たるもの、やる気が出てようやく論文を読んでいるようでは全然駄目だという自覚がある。呼吸をするように細心の研究書やジャーナル論文を消化して、我が物にできていなくては話にならない。

常々思うのだが、自分は本当に人文学の研究者としては基礎体力も知力も情熱も劣っており、よくプロになれたものだと振り返って冷や冷やさせられる。

基本的な頭の出来がそこまでよくないので、早朝の一番コンディションが良い時間をどう使うかは考え所。例えば今日は自分の一番大事な論文の執筆や重要論文の読解に充てられたので良かったが、油断をしていると、この神聖な時間をメール返信・事務仕事・教育準備といった自分にとって最優先ではない活動に使ってしまいがちなので、本当に注意しないといけない。

遅々として進まなかった執筆における突破口や改善案がパッと浮かんだり、深い集中力で理論研究を読み込んだり、この朝の時間だから出来ることは本当に多い。

他の人は知らないが、自分は「ベストコンディションでぶつかって、ようやく人並みのパフォーマンスが出来る」くらいにしか才能と適性がないので、最良の状態でいられる時間は大事に使わなければならない。

そのためにやるべきこと、出来ることがあるとすれば、研究以外の仕事を夕方から深夜にかけての摩耗した時間に推し進める馬鹿力を発揮することか。朝のために、翌日に繋げるために夜は働く。

ちなみに、こうした働き方が出来るのは、「週のうち二日は全休、残りの三日も授業は4時間以内」という現職場の環境があってのことなので、もう少し忙しい環境に移ったら自分の研究もその素地になる勉強もろくにできなくなり、研究者としての自分はあっという間に死に絶えるであろうという強い自覚がある。忙しい合間を縫って自分が目指す水準の研究を推し進める自信がない。

自分の弱さに対する、諦念にも似た、切ないほどの自覚があるので、時間の使い方・環境の選び方は人一倍考えなければならない。

勿論、自分の場合がそうだというだけで、傑出した才能・適性や圧倒的な意志があれば、逆境や忙中にあっても学者として活動し成長していけるのであろう。自分がそうではないというだけの話。

世界遺産の西湖に行ってきた。写真では全く伝わなないが、絶景であった