自分の研究者としての存在意義は国際査読誌から論文を出すことだと思っているのだが、生きていると論文以外の、もしくは論文未満の書き物というのも出てきてしまう。
最初から「このテーマ、この調査、この成果は査読論文として通す!」という意気込みのもと始められるプロジェクトとは異なり、行きがかり上生じた原稿。
たとえば、RAや外部研究員として残した調査レポート(EUのシンクタンクでの経験がある)、たとえば、授業準備から派生したまとめ。これらは研究成果として世に出すことを目指していないので、独自性や学術的貢献が論文よりも弱くなりがちである。
「そんな無駄な文章は書くな、論文に専念せよ」というのも一つの立場であろうが、自分の場合、一定の分量にまとまりそうな文章は書き上げて、「頭の外」に出してしまった方が具合が良い。
それではこの『論文未満』の原稿をどうするべきか。日本語圏の商業出版社からの依頼もなければ、科学系の分野のようにワーキングペーパーを挙げる文化もない。どうしたものか。
…と思っていたのだが、最近はとにかく同業者に見せて、「これを論文まで持っていくにはどうしたら良いだろうか」と助言を乞うようにしている。
その結果、何が起きたかと言うと、これらの原稿のうち、一本は海外出版社からの編著に含まれ、一本は国際学会のパネルに誘われ、一本はジャーナルの特集号への寄稿が決まった。
これらは成果としては上々で、「論文未満」の原稿も臆さずに書き上げて人に見せようと思った。
ただし、自分への戒めが二点ある。
(1)今回の成功に味をしめて『論文未満』の原稿を書き続けることに満足してはならない。厳しい査読のある国際誌への投稿を続ける。真剣勝負に自分を晒し続ける。
(2)『論文未満』のワーキングペーパーが成果になるためには「正しい読者」に届く必要がある。そのためにはコネと信用が絶対に必要。そしてコネと信用が築かれるのは国際査読誌における業績を通じてのみ。
別の記事で言及したが、「とりあえず英語紀要・WPを公開して何か起きるの待ってみた」的な甘えは不毛。