早朝、最良の時間

今週に入って、ようやく自分の研究に取り組む勢いが出てきた。ついでに論文とは関係のない「勉強としての論文読み」も捗っている。

もっとも、研究者たるもの、やる気が出てようやく論文を読んでいるようでは全然駄目だという自覚がある。呼吸をするように細心の研究書やジャーナル論文を消化して、我が物にできていなくては話にならない。

常々思うのだが、自分は本当に人文学の研究者としては基礎体力も知力も情熱も劣っており、よくプロになれたものだと振り返って冷や冷やさせられる。

基本的な頭の出来がそこまでよくないので、早朝の一番コンディションが良い時間をどう使うかは考え所。例えば今日は自分の一番大事な論文の執筆や重要論文の読解に充てられたので良かったが、油断をしていると、この神聖な時間をメール返信・事務仕事・教育準備といった自分にとって最優先ではない活動に使ってしまいがちなので、本当に注意しないといけない。

遅々として進まなかった執筆における突破口や改善案がパッと浮かんだり、深い集中力で理論研究を読み込んだり、この朝の時間だから出来ることは本当に多い。

他の人は知らないが、自分は「ベストコンディションでぶつかって、ようやく人並みのパフォーマンスが出来る」くらいにしか才能と適性がないので、最良の状態でいられる時間は大事に使わなければならない。

そのためにやるべきこと、出来ることがあるとすれば、研究以外の仕事を夕方から深夜にかけての摩耗した時間に推し進める馬鹿力を発揮することか。朝のために、翌日に繋げるために夜は働く。

ちなみに、こうした働き方が出来るのは、「週のうち二日は全休、残りの三日も授業は4時間以内」という現職場の環境があってのことなので、もう少し忙しい環境に移ったら自分の研究もその素地になる勉強もろくにできなくなり、研究者としての自分はあっという間に死に絶えるであろうという強い自覚がある。忙しい合間を縫って自分が目指す水準の研究を推し進める自信がない。

自分の弱さに対する、諦念にも似た、切ないほどの自覚があるので、時間の使い方・環境の選び方は人一倍考えなければならない。

勿論、自分の場合がそうだというだけで、傑出した才能・適性や圧倒的な意志があれば、逆境や忙中にあっても学者として活動し成長していけるのであろう。自分がそうではないというだけの話。

世界遺産の西湖に行ってきた。写真では全く伝わなないが、絶景であった