上位互換・代替可能性

特に捻りもなく、表題通りの話を考えている。

人間はそれぞれ唯一無二でかけがえのないものだと考える人道主義的な立場から、「君のやっていることは誰かの下位互換だよね」という発想は出てこないだろうし、また研究者というのは(根拠がなくとも)自分の研究や知見が独創的であることを強く信じていることが多く、やはり「自分がプロフェッショナルとして替えが利く存在である」という危機感も生じにくいように見受けられる。

だが今の自分にとっては、これは切実な問題である。例えば、自分が今年最初の面接を受ける大学の現職員一覧を見てみよう。

自分の専攻である「文化政策」研究に関しては、既に同じディシプリンのスターが二人。

Abi Gilmore — Research Explorer The University of Manchester

Dave O'Brien — Research Explorer The University of Manchester

それでは、博論以降研究を進めている「東アジア」という切り口ならどうかというと、こちらも「東アジア文化政策」の専門家が既にいる。

Biyun Zhu — Research Explorer The University of Manchester

さらに、東アジアを専門とするもう一人の教員に至っては、自分が今在籍しているXi'an Jiaotong Liverpool Universityから移籍してきている。これで自分の職務・経歴面での独自な強みは消えた。

Shuaishuai Wang — Research Explorer The University of Manchester

ならばならば、自分の強みであるディシプロンの脱植民地化・脱西欧化、人種・地理的多様性からのアプローチを強調しようとしても、まさにそれをやっている・できる人がすぐに見つかる。

Roaa Ali-Moore — Research Explorer The University of Manchester

Kenneth Atuma — Research Explorer The University of Manchester

 

これはあくまで一例だが、英国のラッセルグループに属する研究大学はだいたい似たようなものだと感じる(たとえば、ロンドンとかリーズとかグラスゴーとか)

 

こうしてみると、つくづく自分が積み上げてきたような「オリジナリティ」というのは吹けば飛ぶようなものだと切なくなる。もっと突き抜けた研究や重厚な教育歴・職歴を培っておく必要があった。自分は弱い。

この「上位互換・代替可能性」問題を考えるのはなかなかしんどいが続けていこうと思っている。

思うに、こうした問題を自分や先人が取り上げてこなかったのは、アカデミック・ジョブマーケットにおいて、「東アジアの地理的・言語的・文化的な障壁を越えられる」という強烈な差別化要因が働いており、上位互換の存在を消し、代替不可能性を打ち立てられたからだと思う(自分も今の職場に関しては完全にそう)

自分はなんとなく外に打って出てみようと思ったので(楽しそうだし)、別のやり方を考えないといけない。しんどいが、案外嫌いではないかもしれない。