研究苦戦の冬季休暇

自分の職場は英国大学の中国キャンパスということで、学事暦がやや特殊で、年明けから2月下旬の旧正月終わりまでが長い冬季休暇となっている(英国本国の場合は年初から新学期が始まり、2ヶ月ほど早く春季休暇に入る)。この休暇を利用して婚約者と自分の両親のところに顔を出したりあちこち旅行に行ったりと、私生活は大いに充実している。

だが、その一方で、どうにも研究が捗らない。厳密には研究そのものは進んでいるが、結果を出すことに関して壁に突き当たっている。

 

昨年に自分の専門分野におけるフィールドトップ誌から2本、査読一周目で「条件付き採択」の形で論文が通ってきたので、てっきり底力がついたものかと思ったが、今はいくつかの面で厚い壁を感じている。

第一に、自分の専門(文化政策研究)を離れて、隣接分野(カルスタ、メディア論、文化社会学)の雑誌に投稿を始めたら、査読に一気に通らなくなった。第二に、時間と労力を費やして完成度を高めた博士論文ではなく、新規のプロジェクトに関する論文を書き下ろしたところ、書き物としての程度が低く実力不足を痛感している。

 

ここまでの経緯としては、新しい研究テーマを2つ立ち上げ、それぞれ2ヶ月かけてワーキングペーパーの形に仕上げ、上記の隣接分野における有名な査読誌に投稿したところ、どちらもリジェクトされたのだが、その査読コメントを要約すると、「全体的に完成度が低い」という指摘に尽きる。そして自分もこの指摘に納得している。

少し話が逸れるのだが、「どの表現が、とか、どの段落が、とかの話ではなく、全体的に程度が低すぎて直しようがない」という段階は、人文系の研究ではよくあることだと実感として良く分かる。なのでこうした査読がアンフェアだとは思わない。喩えて言うなら小学生が日記として書いた文章がフォーマルな学術誌に載せる文章としてそぐわないようなもので、英文校正サービスで解消されるものでもないと思っている。

ともあれ、一度は完成度が高い学術的な文章を書き通す経験をした自分でも、短期間で手癖で書き上げた論文は、内容面でも表現面でも落とされて当然の代物なのだと少々悔しく、清々しさと納得感を強く覚えている。問題はどうやってこの壁を越えるか。

査読に落とされたことで一々自分の能力や立ち位置を疑うのではなく粛々と次に移るのがプロだと思うが、キャリアの浅い自分はあえて一本一本の結果にこだわって意味や教訓を引き出そうと思っている。そうしないと「駄目で元々」という甘えのもと、公算と展望もないまま漫然と打席に立ち続けてしまいそうなので。

唯一有難いのは、曲がりなりにも査読まで回ったことで、お陰で自分の現状と課題がよく分かった。ただ、解決方法は分からない。もう一度、博士課程を最初からやるつもりで修行するか。

 

最後に、こうしたいわば当落線上の原稿を持ち回った経験として、「うちのジャーナルのスコープにはそぐわない」とデスクリジェクトを食らうケースの幾らかは、上記の意味で単純に原稿の程度が低いことがあり、編集がそうした『問題外』の原稿を切るための口実として使っている場面も多々あると思うのですが、同業者の皆さん、どう思いますか?