「とりあえず英語で発信」的なHP・WP

とりあえず英語で個人用HPを作って、英語で書いた査読無しワーキングペーパー(WP)を挙げる、みたいな仕草を、特に院生・若手研究者向けに推奨されることが多々あるじゃないですか。

実力を磨かず、質を高める努力をせずに、「いつか見つけてもらえるかも」「いつか誰かに価値を認められるかも」という甘えを感じる。

世界に対して言いたいことがあるなら、国際査読誌に投稿すればよく、そこで落とされ続けるなら書き手の力量が根本的に足りていない。

そんな段階で、低品質のWP、紀要的なものを多く作って貼り出しても、同じ低みをぐるぐる廻り続けるだけだと思う。

場合によっては「とりあえず英語で発信」が有害である場合もある。

少しひどいことを言うと、質が低いがとりあえず英語で書かれた紀要・WP的なものが検索かなにかに引っかかると、媒体や論文の質を見極める目が育っていない学生によって先行研究の「アリバイ」的に言及されてしまい、研究・教育の邪魔になることすらあり、教員としては悩ましかったりする。

要は、「とりあえず英語で」みたいなノリでワンチャン期待するくらいなら、徹頭徹尾日本語で議論・発信し続ける方がよほど誠実な研究姿勢だということである。

似たような少し違う話だが、英語の要旨と表題だけある日本語論文や英語の雑誌名だけ立派な国内誌も好きではない。せめて英語名はJapanese Journal of XXX と名乗る良識と謙虚さこそ、国際的だと感じる。