サバティカルとか海外出張とか

新年度の始まりということで、大学教員のサバティカル報告をたびたび見かける。

自分は少し前までそうした海外駐在やサバティカルがものすごく羨ましかったのだが、最近は少し考えが変わってきた。

充実した数年間の短期滞在を得るよりも、研究者として総本山に通用するフルメンバーであり続けることの方が遥かに重要で価値があると心から思う。

そのためには業績を出し続けること、生きたネットワークを維持し、育てていくことで、マラソンにも似た共同体的な営為としての学術的探究の道を進み続けなければならない。自分が心より目指して憧れているのはそちらの道である。

「短期滞在のお客さん」と「フルメンバー」との違いを体感レベルで知ること、それを自身のポジション取りや目標設定に反映するか否かで、同じ大学教員・研究者という職業の中でも見えている世界が全然違う。

自分の見知った研究分野(日本以外をフィールドとする人文社会)の場合、日本を主戦場とする研究者が海外サバティカルを一年経験しても、「2024年に最先端に一瞬だけ触れたものの、2034年になってもそこから更新されない人」になって終わる危険があると感じる。それが嫌ならプロとして足腰と地力を鍛えないと話にならない。

こうした考えに至った経緯として、インダストリーで働くパートナーの影響は挙げられる。彼女はフィールドとしている地域の市場動向の調査やネットワーキングのために、2−3ヶ月に一度は必ず海外出張に行っており、「海外滞在によって土地勘を得る」ためにはこれくらいのことが必要なのだと横で感心しながら見ている。

そんなわけで、自分も4月、6月、8月に欧州出張の予定を入れた。現地の共同研究者に会って、国際学会に通う予定である。これでどうなるかは分からないが、少なくとも続けていこう。

たとえば、8月の学会ではロンドン大学の指導教官から誘われて学会のパネルを組むのだが、この話が来たのは自分が「活きた研究」をワーキングペーパーとして回していたからで、研究者として衰えたら、疎遠になり、留学中に築いた紐帯は消えていくのだろう。それが怖いし、寂しいし、研究者として不甲斐ない国際査読ジャーナルに投稿し続ける動機なるものが自分にあるとすれば、実はこうした感傷なのかもしれない。

 

最後に、「2034年になっても2024年のサバティカルの知見から更新されない人」と冷笑的に評したが、そうした人生においてたびたび振り返り慈しむことができる「輝かしい時期」がある人生は豊かだとも思う