松下研究助成採択書類

松下幸之助記念志財団に採択された申請書類を共有します(もしかしたら最終版ではないかもしれませんが、おおよそこんな内容で応募しました)。

 

タイトル:戦後イギリスのメディア文化政策

副題:テレビ・映画政策における公民連携に着目して

 

研究の目的1(研究テーマの学術的意義についても必ず記載ください)

本研究は、メディア政策の歴史において、政府機関と民間団体との協調が実現した過程とその成果を分析する。特に、戦後1950年代イギリスの映画・テレビ産業に対する政策支援において公民連携が果たした役割に着目することで、メディア文化における政府と私企業との協力の歴史を明らかにすることが目的である。テレビ、映画、ラジオといったメディア文化は政府の公的支援に基づいて発展してきた歴史があり、この状態は今日まで続いている。その中でもイギリスは他国にも応用された多様な政策モデルを創出してきた歴史がある。本研究は、こうしたイギリスのメディア政策研究において見落とされてきた公民連携の歴史を研究対象とする。

イギリスのメディア文化政策に関する研究は、政府と民間との間の二項対立的な関係を前提としていた。すなわち、1970年代以前のイギリスでは、福祉国家政策がメディア文化支援を特徴づけたのに対して、1980年代以降の新自由主義の隆盛によってにわかに市場化・自由化が進み、メディア文化において商業主義に基づく民間団体が中心となり、政府が支援するメディア文化が損なわれたと理解されてきたのである(Gray, C. 2001. The Politics of the Arts in Britain. Palgrave)。こうした歴史認識から、メディア文化の政策史において、公共と民間は競合的・対立的な関係として捉えられてきた。

 しかしながら、イギリスにおけるメディア文化政策には、公的機関と私企業との協調が図られた取り組みも多数存在している。一例を挙げると、戦間期に設立されたBBC(イギリス放送協会)やBFI(イギリス映画機構)といった、文化市場および商業主義とは一線を画する「純粋な」文化政策のモデルとされてきた取り組みにおいても、民間団体との協調および文化支援の市場への委任が図られていたことが申請者の研究で明らかになった。

 それでは、メディア文化政策の主要な制度が整備されつつも国家主導の時代として理解されてきた、戦後1950年代のイギリスにおいても、政府と民間との協調を目指す取り組みは維持・発展していたのではないか。以上の仮説に基づいて、本研究では、戦後イギリスのメディア文化政策の形成について、政府機関と民間団体の利害調整と折衝に着目した研究を行う。従って本研究は、公的機関と民間団体を二者択一的に捉える先行研究の前提を離れ、従来検討されてこなかった両者の協調とその成果を問い直すことで、イギリス政治史、メディア文化史研究に貢献するものである。

 

研究の目的2(社会への貢献について、また財団が目指す国際理解・協調あるいは自然と人間との共生との関連について)

本研究は戦後イギリスの歴史的事例研究であるが、国際理解・協調を考えるうえでも現代的な重要性がある。イギリスは、公共放送協会の改革やアーツカウンシルの整備など今日広く世界中で取り入れられているメディア文化支援の公的制度を世界に先駆けて実施した。従って、当時のイギリスがメディア文化を活性化させるべく、政府と民間との協調に向けていかなる取り組みを行い、いかなる成果をもたらしたのかを明らかにすることは、世界各国で実施された類似の事例を分析・評価するための枠組みを提供し、各国の特色を理解することにもつながる。

加えて、本研究はメディア政策の実践に関する新たな視座を提供することで、メディア文化の充実を通じた社会貢献につながる。メディアを通じた情報発信は、国際的な相互理解や協調を推し進めていくうえで最重要の手段の一つであり、それを支えるメディア文化政策の効果的な実践は、今日なお切実な課題である。そのためには、国家と民間団体を対立的に捉える枠組みを脱して、メディア文化政策における両者の建設的な協調関係の在り方を考察することは不可欠である。こうした政策デザインの議論を進める前提として、両者の協調に関する歴史的事例の研究によって、過去の成果と教訓を検討することは不可欠である。メディア文化政策の歴史的検討を主題に据える本研究はこうした必要に応えるものである。

 

研究計画・方法

本研究の大きな目的は、メディア政策の領域における公共機関と民間団体との協調に向けた歴史的取り組みを論じることである。具体的な目標は、1950年代のイギリスにおいて、メディア文化支援に中心的な役割を果たした政府機関が、民間団体との間でいかなる交渉を行い、両者の間でいかなる協力がなされたのかを明らかにすることである。

この目的を達成するために、戦後新たに設立された二つの制度、NFFC(国立映画融資公社: National Film Finance Cooperation)とBBC Channel 2を研究対象として取り上げ、その形成過程・制度内容・政策的帰結の三点について検討を行う。NFFCとBBC Channel2は、映画とテレビの分野において、国民文化の形成に寄与するべく1950年代に設立された中心的な政府機関である。その特色は、映画会社や商業放送など先行する民間団体との交渉を行ったうえで、既存の市場との互恵的な関係を構築しようと試みた点にある。具体的には、NFFCは映画の文化的・教育的活用を目標として設立された公社だが、既存の産業団体や私企業との連携を通じてその目的を実現しようとした点にその特色がある。これに対してBBC Channel2は、BBCが従来推進してきた教育目的での公共放送と、新たに台頭してきた商業放送の中間となるメディアを設立し、商業放送との生産的な協力関係を実現しようとした取り組みである。こうした特色がある取り組みでありながら、1950年代の国家主導の文化政策に焦点が当てられてきた先行研究において、NFFCとBBC Channel2が行った民間団体との協力の模索とその成果に対して十分な関心は払われてこなかった。

 NFFCとBBC Channel2の文化政策を通じて、A)形成過程でいかなる理念が政府と民間の間で討議され、B)その議論がいかなる制度に帰結し、C)その運用を通じていかなる長期的な結果が政府・民間にもたらしたのか、の三点を究明する。これによって、戦後イギリス文化政策における政府と民間との協調の試みを長期的な潮流を捉えることが可能になる。

(A)過程追跡(process tracing)

映画とテレビは1950年代において強い求心力を持つメディア文化であったことから、その支援を行うNFFCとBBC Channel2の設立をめぐって、イギリス国内では幅広い議論が残されている。政府が民間団体との協調を図る試みがいかに論じられたのか、国会議事録、新聞、メディア業界雑誌の分析を通じて明らかにする。

(B)制度分析(institutional analysis)

二つのメディア文化政策について、いかなる立法に基づき、いかなる制度が設計されたのか、政府刊行の白書および独立委員会による初年次報告書の分析を行う。これによって、私企業との折衝を企図して設立された二つの制度がいかなる形態をとっており、今日のメディア政策と比べていかなる差異と特色があるのかを明らかにする。

(C)政策評価(policy evaluation)

NFFCとBBC Channel2が民間事業に対していかなる効果を及ぼしたのか、その評価を行うための資料は政府内外の刊行物に残されている。具体的には、イギリス映画機構とBBCが刊行していた年次報告書が政府側の資料として、二つの制度を評価した新聞・雑誌が民間側の資料として挙げられる。これらの資料を分析することで、NFFCとBBC Channel2が政府と私企業との効果的な協力に関していかなる結果をもたらしたのか明らかにすることが出来る。

以上の論点を検討するにあたって、本研究では政府と民間との双方に関連した資料を検討することで、文化政策における公的機関と民間団体の協調を双方向的に実証する。そのために、国立公文書館国会図書館に残された政府文書と、BFI映画図書館とウォリック大学近代文書会に保管されている民間・産業団体の資料を分析する。

 

研究の特色・独創性

先行研究の大多数は、メディア文化政策において経済の論理で動く民間団体が参入することを問題視し、公共と民間を二項対立的な図式の中で捉えていた。これに対して、本研究の特色は、国家主導の時代と理解されてきた1950年代イギリスにおける、政府機関と民間団体との協調の取り組みとその成果を検証する点にある。これによって、国家が主導権を握った時代として理解されてきた戦後イギリスの福祉国家観に修正を迫り、公民の協力関係によって形成される文化政策の新たな見取り図を提示する点に本研究に独自の意義がある。

さらに本研究はメディア文化における経済活動の積極的意義を実証的に検討する点で、文化産業・クリエイティブ産業の理解に貢献する。文化振興と経済支援が調和的に実現される可能性については、理論的な考察が進められてきた(Cowen, T. 2001. In Praise of Commercial Culture. Harvard UP)。本研究は文化支援を目的とする政府と経済発展を目的とする民間団体との協調を実証的に論じることで、経済活動を行う民間団体の役割拡大が芸術文化の発展を阻害するという「文化悲観主義」を脱して、経済と文化の両立の展望を示す点で独自性を有している。

 

研究により期待される成果

現在までのメディア文化政策に関する研究・提言は、メディア文化の支援に対して民間団体や市場経済が関与することに対する危機感・警戒感が前面に出ており、政府と民間との協調についての建設的な議論が進んでこなかった。その結果、メディア文化政策の市場化への対抗策として、近代以前のパトロン制度への回帰を志向するかのような非現実的な議論すら散見される。しかしながら、そもそも文化政策は他の公共政策に比べて政府支出の優先度が低く、予算・資源が不十分になりがちである以上、民間団体・文化市場との協調を回避し、国家に文化支援を委ねようとする議論は建設的なものとは言い難い。

 これに対して、本研究ではメディア文化政策の領域で経済的な観点を織り込んだうえで、政府機関と民間団体との協力関係を構築し、両者の連携を実現する為に、いかなる構想が提示され、いかなる制度が実践に移され、いかなる結果がもたらされてきたのか、歴史的な検討を通じて明らかにする。国家と民間との協調に向けて先駆的な試みを実践してきたイギリスの政策を研究することは、今後世界各国でメディア文化政策を立案、討議、実践、評価していくうえで重要な知見を提示することに繋がる。

加えて、本研究が完成されることで、公共文化と商業文化を対立的に捉える、現代のメディア文化政策理解の図式を脱して、文化政策の領域での協力的な政府・民間関係を考察するための新たな分析枠組みを提示することが可能となる。このことで本研究は、文化政策を含めた公共政策全般での共通の課題である、あるべき公民連携(Public Private Partnership)に関する議論を豊かなものにする契機となる可能性を有している。