やる気出てきた

来月には欧州出張がある。

自分の英国での用事と合わせてパートナーが東欧での仕事が出来たので、いっそのこと二人とも同時に行くことになった。単純に旅行として楽しみである。

それはそれとして、各種の準備・仕込みは順調に進んでいる。本番で聞かれそうなことを考えると、自分の研究や展望、教育哲学や日々の実践、具体的な成長と改善について、ある程度の切実さを持って言語化できる。

生活に張りが出るね。今後もこういう機会を持ちたい。

とにかく今は、勉強するべきこと、調べるべきことがたくさんあり、話すべき相手がたくさんいて、時間がいくらあっても足りないと感じる。この充実感がとても好きだ。

思い出すのは、『バトゥーキ』でBJが遊佐を煽る場面。「頂点と鎬を削り合わなければならない」「そのためにマッチメイクされる存在にならなければならない」「一流の環境で練習しなければならない」というあたり、自分の問題意識とも重なる。

 

 

『バトゥーキ』はこのBJと遊佐の出会いのくだりが相当好き

 

早朝、最良の時間

今週に入って、ようやく自分の研究に取り組む勢いが出てきた。ついでに論文とは関係のない「勉強としての論文読み」も捗っている。

もっとも、研究者たるもの、やる気が出てようやく論文を読んでいるようでは全然駄目だという自覚がある。呼吸をするように細心の研究書やジャーナル論文を消化して、我が物にできていなくては話にならない。

常々思うのだが、自分は本当に人文学の研究者としては基礎体力も知力も情熱も劣っており、よくプロになれたものだと振り返って冷や冷やさせられる。

基本的な頭の出来がそこまでよくないので、早朝の一番コンディションが良い時間をどう使うかは考え所。例えば今日は自分の一番大事な論文の執筆や重要論文の読解に充てられたので良かったが、油断をしていると、この神聖な時間をメール返信・事務仕事・教育準備といった自分にとって最優先ではない活動に使ってしまいがちなので、本当に注意しないといけない。

遅々として進まなかった執筆における突破口や改善案がパッと浮かんだり、深い集中力で理論研究を読み込んだり、この朝の時間だから出来ることは本当に多い。

他の人は知らないが、自分は「ベストコンディションでぶつかって、ようやく人並みのパフォーマンスが出来る」くらいにしか才能と適性がないので、最良の状態でいられる時間は大事に使わなければならない。

そのためにやるべきこと、出来ることがあるとすれば、研究以外の仕事を夕方から深夜にかけての摩耗した時間に推し進める馬鹿力を発揮することか。朝のために、翌日に繋げるために夜は働く。

ちなみに、こうした働き方が出来るのは、「週のうち二日は全休、残りの三日も授業は4時間以内」という現職場の環境があってのことなので、もう少し忙しい環境に移ったら自分の研究もその素地になる勉強もろくにできなくなり、研究者としての自分はあっという間に死に絶えるであろうという強い自覚がある。忙しい合間を縫って自分が目指す水準の研究を推し進める自信がない。

自分の弱さに対する、諦念にも似た、切ないほどの自覚があるので、時間の使い方・環境の選び方は人一倍考えなければならない。

勿論、自分の場合がそうだというだけで、傑出した才能・適性や圧倒的な意志があれば、逆境や忙中にあっても学者として活動し成長していけるのであろう。自分がそうではないというだけの話。

世界遺産の西湖に行ってきた。写真では全く伝わなないが、絶景であった

 

授業は大変

いくつかの休講の兼ね合いで、今日は6時間通しで授業をやることになった。

正直めちゃくちゃ疲れた。肉体的、頭脳面での疲労だけではなく、精神が磨耗するような感覚。はっきり言ってむしゃくしゃしており、この感覚を思い出すのは、博士課程の追い込みが大変だった時以来。やり場のない疲労感と苛立ち。

この感覚を覚えておくというか思い出すことは大事かもしれない。

自分は教育負担が大き過ぎるポストには応募したくないことがはっきりと分かった。研究時間が取れずに教育・教育ばかりだと脳みそが縮んで魂が擦り減る。

従って、仮に英国からオファーが来ても教育メインのポスト(いわゆるTeaching & Scholarshipのポスト)は慎重に検討する必要がある。というか、断るべきだな。

教育は好きだしやり甲斐もあるが、限度があるわ〜

 

燃え尽きたので深夜に蘇州市内を自転車で徘徊していた

 

面接ラッシュ

今日から、いくつか招待されていた英国大学の就職面接が始まる。本命がまとまる4−5月あたりには現地に渡航して対面での面接に臨む予定だが、今日のものはまだオンラインでの肩慣らしといったところ。

この面接は面白くて、いわゆるTeaching & Research (教育と研究のエフォート比率が1対1)のポストでありながら、実際に受け取った面接案内では模擬講義ともっぱら教育に関する事前質問への準備を課されている

このあたりから研究者よりも教員を採用したいという大学側の思惑が感じ取れる。別の大学の面接では現在の研究と将来の研究について30分プレゼンを課されており、ポストによって求められているものが全く違っていると感じる。(ちなみにどちらの大学もラッセルグループ)

ちょうど一年前、海外学振に採択されたとき、2年間ロンドンで研究にひたすら打ち込むポスドク生活に魅力を感じたことは事実だが、そちらの道を選んだら英国の就活戦線からは脱落することが確定していたように思う。ファンディングの出所が英国・EUの外からだと、やはり「現地で通用する」という証拠としては弱く、英国の大学に籍を置いていても正規の教務・学務の経験は積ませて貰えなかったため、2年間の任期のうちに現地の大学に採用される可能性はまずなかったと思う。

まあ、何の制約もなく研究に打ち込んでいたら何か新しい視界が開けた可能性もあるので、どちらが正しかったとも言えまい。別に自分が選んだ環境が無欠の正解という保証も全くないし…

例えば、自分の職場は英国大学の中国キャンパスだが、中国語が出来ないので、どうしても現地での折衝や細かい事務仕事などは他の同僚に割り振られている感触があり、申し訳ないと同時に、職場に十全に貢献できていないという危機感がある。

十中八九ないとは思うが、まだテニュアトラックにいるので、こうした事務における貢献不足によって(もっというと職場での優先順位の低さから)、テニュアが見送られる可能性はないかと不安になっている。

別に同僚との貢献度競争をしている訳ではないし、そもそも人手不足が深刻な現職場で首を切られることを心配している人など誰もいないが、ふと気になったのである。

面接のような選択肢や可能性と向き合う機会があると、自分の来た道や行く末が気になってくるものである。粛々と手を動かすべきなのだろうが。

本場感

同世代ややや上くらいのいわゆる若手研究者(Early Career Researchers)を見ていると、そろそろ答え合わせが進んできた感があり、頭角を顕してきた人とそうでもない人の差が鮮明になってきたように思う。そして職業柄、この差は最後まで埋まらないのだろう。

抜きんでた人の何がよかったかというと、研鑽の場として本場・総本山・最先端と呼ばれる場所を選んだことが特に利いているように見受けられる。

逆に、北米の研究大学に最先端がある手法やアプローチをそれ以外の地域でやったり、他の言語圏で留学・修学をしながら片手間に英語論文を目指す、みたいなやり方だと、どうしても本場の精鋭に対して見劣りするところがある。

他人事ではなく、自分が今いる場所は英国研究という意味では総本山として遠く隔たっているので、ロンドンでやっていたようなことをここで漫然と続けても、遅いし鈍い書き物しか出てこないだろうと危機感を募らせている。

自分がこういうことを切ないくらいに考えてしまうのはやはり個人的就活シーズンだからだろうか。別にトップランナーでなくても論文を数本出すくらいのことは出来るのだが、「任期なしポストを本場で争う」という話になると、どうしてもこのわずかな見劣り、劣後が気になってしまう

それではどうすれば良いかというと、「今いる場所が最先端・本場となるような問題を、理論を、事例を、研究として立ち上げる」しかないのだと思う。現在自分はそのための試行錯誤を色々としているので、具体的な実践や成果は挙げられないが、これも数年後に答え合わせが済む案件であろう。