暇な大学教員の日常

新学期が始まり2週間が経過し、徐々に授業のペースも掴めてきた。

手探りの中で仕事をしている感覚はまだ残るが、それも悪くない。脳が若返るような気がする。

授業日の朝には「稼ぐぞ!貯金するぞ!」と掛け声をあげている。己を鼓舞して起き上がるために、これが一番やる気の出るフレーズだった。

いわば職務として回っている教育や事務の他に、熱中している作業がある。

具体的には、単著・グラント・プレゼンの三つである。このうちどれか一つが獲れるだけで、おそらく自分の人生が変わる類の的を狙っている。

そういう事業を抱えていると、日々の雑務や日常生活に多少ストレスがあっても、気持ちに張りが出るし、「これを通したい、いやこれさえ通れば」という希望は人生を間違いなく豊かにしてくれる。

思わせぶりに伏せても仕方ないのではっきり言うと、「海外大学出版からの出版契約審査」「ポスドク数人雇える国際共同研究グラント」「英語圏テニュアポスト面接」に挑んでいるわけですね、今。

特に面接準備をしていて感じたのだが、「フィールドトップの国際査読誌から論文出版」という目標を既に達成してしまったので、同じようなことを数年間繰り返していても、CV上でのインパクトがあまりなく、employabilityが上がらない気がしているのですよね。

論文が3本から5本に増えたところで、そこまで…ねえ?

むしろ就職面接のフォーマットに落とし込んでみたら、「同じところをぐるぐるしている」ように見えそうだな、と危機感すら覚えた。

そんなわけで、論文ゲームから一段難易度が上がったところに飛び込んでみようかと思った次第である。ただ、誤解されたくないし、自分でも留意しないといけないのは、論文出版という競技から引退するわけではない、ということ。むしろ、当たり前にフィールドトップ誌に余技で出版し続けながら、別の事業も回していく必要がある。

最近の日常はこんな感じで、本業で暇があるからこういうことも考えられる。

 

ふらふら

直前の記事で書いた、「上位互換問題」についてパートナーに愚痴ったら、「別に唯一無二である必要はなくない?大学からしたら、単純に同じようなことができる戦力を増強したいだけかもしれないし」と呆れられた。大変に気が楽になった。

来月は渡英。パートナーとの観光旅行を楽しんでくる予定。自分は今イギリスで過ごしたら何を感じるのだろうか。良し悪しではなく単なる事実として、留学や在外研究で身につけた学識、培った人脈、文化人類学的なway of livingという意味での文化や身につけた素養といったものは、帰国して三日もすれば枯れ始め、刻一刻と自分の心身から「引き剥がされていく」ものだと思っている。

だからこそ、留学や駐在で輝かしい時間を過ごした上で、戻る道が見えないというのは苦しいことである。

俺の場合は「心はロンドンに」という未練を取り払うことができてきた。英国の研究大学から声が掛かるようになり、かつて総本山であり憧れでもあった英国のアカデミアがone of them の選択肢の一つに落とし込まれたことが大きいと思っている。

 

yurimangasukisuki.hatenablog.com

上位互換・代替可能性

特に捻りもなく、表題通りの話を考えている。

人間はそれぞれ唯一無二でかけがえのないものだと考える人道主義的な立場から、「君のやっていることは誰かの下位互換だよね」という発想は出てこないだろうし、また研究者というのは(根拠がなくとも)自分の研究や知見が独創的であることを強く信じていることが多く、やはり「自分がプロフェッショナルとして替えが利く存在である」という危機感も生じにくいように見受けられる。

だが今の自分にとっては、これは切実な問題である。例えば、自分が今年最初の面接を受ける大学の現職員一覧を見てみよう。

自分の専攻である「文化政策」研究に関しては、既に同じディシプリンのスターが二人。

Abi Gilmore — Research Explorer The University of Manchester

Dave O'Brien — Research Explorer The University of Manchester

それでは、博論以降研究を進めている「東アジア」という切り口ならどうかというと、こちらも「東アジア文化政策」の専門家が既にいる。

Biyun Zhu — Research Explorer The University of Manchester

さらに、東アジアを専門とするもう一人の教員に至っては、自分が今在籍しているXi'an Jiaotong Liverpool Universityから移籍してきている。これで自分の職務・経歴面での独自な強みは消えた。

Shuaishuai Wang — Research Explorer The University of Manchester

ならばならば、自分の強みであるディシプロンの脱植民地化・脱西欧化、人種・地理的多様性からのアプローチを強調しようとしても、まさにそれをやっている・できる人がすぐに見つかる。

Roaa Ali-Moore — Research Explorer The University of Manchester

Kenneth Atuma — Research Explorer The University of Manchester

 

これはあくまで一例だが、英国のラッセルグループに属する研究大学はだいたい似たようなものだと感じる(たとえば、ロンドンとかリーズとかグラスゴーとか)

 

こうしてみると、つくづく自分が積み上げてきたような「オリジナリティ」というのは吹けば飛ぶようなものだと切なくなる。もっと突き抜けた研究や重厚な教育歴・職歴を培っておく必要があった。自分は弱い。

この「上位互換・代替可能性」問題を考えるのはなかなかしんどいが続けていこうと思っている。

思うに、こうした問題を自分や先人が取り上げてこなかったのは、アカデミック・ジョブマーケットにおいて、「東アジアの地理的・言語的・文化的な障壁を越えられる」という強烈な差別化要因が働いており、上位互換の存在を消し、代替不可能性を打ち立てられたからだと思う(自分も今の職場に関しては完全にそう)

自分はなんとなく外に打って出てみようと思ったので(楽しそうだし)、別のやり方を考えないといけない。しんどいが、案外嫌いではないかもしれない。

最高過ぎるぜパートナー

別のポストでも度々言及しているが、英国の研究大学(早い話がラッセルグループ)のテニュアポスト面接にいくつか呼ばれており、採用される可能性は極めて低いし、そもそも採用されたところで今の職場を蹴っていくのか相当に疑わしいまま、惰性で準備をしている。

それでも、こうした機会がやはり良いなと思うのは、パートナーや自分自身の持っている価値観や優先順位の擦り合わせができる点にある。要は「酸っぱい葡萄」的に嘘を付かなくてよいわけだ。

今回は特にパートナーの言葉に心動かされた。

彼女曰く、生活の快適さや自身のキャリアについて考えると中国が最適でそこから出ていくことをあまり考えていなかったが、それでも英国のポストに決まるなら受けるべきだと思うし付いて来ると言い切ってくれた。

理由は、英国で過ごす方が、俺の研究者としての知的刺激と成長のためには最適であると信じているから。思えば、彼女は博士留学の国際遠距離恋愛の時から、俺の研究者としての才能を信じて、そこに賭けてくれていたわけで、今もこうして俺のプロとしての躍進・成長可能性に極めて高い優先順位をつけていてくれるわけだ。

自分は自分を信じて自分に賭けてくれた人に報いたい。そのためには研究者として研究成果を生み出し続けることが何より大事だと思う。

新学期・教育

新学期が始まった。大学院で2コマ担当することになるのだが、一つは昨年受け持ったものと同内容であり、もう一つも修論執筆に忙しい2年生に対して補足的な授業を提供するという位置付けなので、授業準備の負担は軽い。本当に良い職場だ。

むしろ今学期により重要なのは、修士論文の指導である。どの程度関与するべきか、どの程度学生の自主性に委ねるべきか、舵取りが難しい。自分が新任教員ということもあり、どうしても不安で手を掛けたくなるが、15人も指導しているためどうしても「手取り足取り」というのは不可能である。そのため、限られた回数の面談や限られた分量のドラフトを読んで、効果的な指導を行うための技量を身に付けなければならない。

ともあれ、出版可能性を感じる論文も複数あり、修論指導は最もやりがいのある作業の一つである。やはり自分は研究者なので、教育の中でも研究成果に近いもの、論文という形態で新しい知を生み出す可能性があるプロジェクトに張り合いを覚えてしまうのだ。

最近の変化として、中国がどんどん愛おしく、住み心地が良くなってきている。その文化が持つ偉大さや美しさだけではなく、卑小さや拙さに対してまで愛着を覚えてしまうので、本当の意味で好きになってきているのだと思う。

海外の大学から面接に呼ばれることで、中国を良い意味で距離をとって見ることが出来たのが大きなきっかけだったと今でも覚えている。

明日はブルージャイアントの新刊が二巻同時に刊行される。楽しみである。

300円の蘭州刀削麺。こんなのも海外で就職したらありつけなくなるなありつけなくなるな…

 

 

 

If we have our own ‘why’ of life we shall get along with almost any ‘how’.

If we have our own ‘why’ of life we shall get along with almost any ‘how’.

この割と有名な表現の引用元を探していたところ、ニーチェの『偶像の黄昏』らしい。

フランクルが引用して言い換えた "He who has a why to live for can bear with almost any how’"という表現の方が有名かもしれない。

 

www.oxfordreference.com

 

自分は結構なりふり構わずに「勝ち」にいった自覚があるのだが、それはまさしく、何故勝たなければならないかという理由が強固にあり、そのためにはどんな手段でも取る用意があったからだと思い当たった。

話はやや逸れるのだが、プロとして全く結果が出ていない人が、心折れずに打席に立ち続けられる理由というか内在的な動機が不明だったのだが、あれはどうやらアマチュアの趣味に近いのだと最近わかった。

趣味ならば「採択」されずとも続けられる。なるほど。そこで「プロとして勝ちに行く戦術」などを論じたくなるのが間違っている。まさしく、勝つ・結果を出す理由(why)がないのだから、そのための方策(how)に鈍感なまま疑問を持たずに続けられるということだろう。

でもそれはすごく幸福なことかもしれない。

流出と流入

https://orcid.org/0000-0003-2450-277X

 

この研究者は自分が今いる職場から英国の大学に移った一例。博士号取得から2年間働いて、ロンドンに移籍してしまった。

このように、自分の在籍大学は人の往来が結構激しく、さくっと採用して、気楽に出て行って、また縁があれば戻ってきたり、ということが多々ある。

流入が盛んなのは、基本的に景気が良くて採用が活発であるためだが、流出が盛んなのは、ここで得られる経験やスキルが国外で就職するときにものすごく強いからだと思う。

英語で教えて英大学の学位を発行できて、若手もプログラム設立や経営に中心的役割を果たせるので、端的に言って英語圏の大学の公募戦線では余裕でやっていける。

そして、「外に出ていける」という可能性と選択肢が具体的になるほどに、今の所属への愛着と忠誠心が高まっているのを感じる。

なんだかんだ言って、今の職場に育てられ、打席に立たせて貰えたという側面は大きいと思うからだ。

今学期から、大学院のcourse directorの一人となった。CV映えする肩書だ。

逆に、国外にも他産業にも出ていく選択肢が乏しいと、どうしても足元を見られるし、不安や不満が募ると思う。自分も少し前までそういうところはあったと思う。

あと、流出の選択肢が具体的に存在しないと、狭いコミュニティのなかで、大して尊敬もできない人の顔色を伺う必要が出てきたりするのも息苦しそうだと感じる。