風姿花伝

風姿花伝』を今読み返してみると、思った以上に芸事を勝負・競争として捉えていることが目に留まり新鮮であった。観客・パトロンありきの表現活動にはそうした競争的な側面は間違いなくあるし、そこから目を背けるのがむしろ無理があると再確認した。

ヒエラルキー」的価値観から遁走して、「内在的価値・感興」に逃げ込む腑抜けどもは、『風姿花伝』を読むべし。

だがそれ以上に個人的に今読んで印象的だったのは、芸能の年代について論じた「第一 年来稽古條條」の箇所。特に24―5歳から、芸風が定まり始め名人にも競い始めた気鋭の若手に対して、勢いを駆った「一時の花」に過ぎない自分の到達点を、「真の花」、本物の名人と思いあがってしまうことへの戒め。

そして34―5歳の段階で「この時期に天下に名が轟いていないのであれば、自分の技芸は極まっておらず、なおかつ40以降は下り坂なので、この時期に天下に届かなければ、この先も不可能に近い」と世阿弥は言う。

この二点に関しては、研究者のキャリアと奇妙な符合を覚えた。

30代半ばの盛りの時期において、天下に名望を得られないのであれば、あとは下り坂なので無理。「五十近くになっても消えない花を持つほどのシテならば、当然四十以前に天下の名声を得ているはず」なんという残酷な言い切り。