現在の職場(英大学の中国キャンパス)に着任して三学期が経過した。大変恵まれた環境で何一つ不満はないのだが、漠然と「過酷な英国で勝負してみたい」という気持ちがあった。
そのためやっつけ仕事の公募書類などは出してみるのだが、実際に面接によばれてみると力を出し切れず、勝率も振るわない。
これに関しては数年前の自分の見立てが間違っており、劣悪な待遇でも「現地」に石に齧り付いてでも残った方が英国での採用の見込みは高かったように周囲を見ていて思う。
その一方で、英国を目指すことそのものにも迷いが生じてきている。20年英国の大学に勤めたスコットランド人の同僚が「今、英大学で就職するやつは正気じゃない」と言い切っており、内実を聞かされると確かにと思わされる。特に、持っていかれる税金が大きく額面だけ見て待遇を論じることはできないと言われ、その通りだな、と。
また、英国の大学で10年以上勤務していたメンターからも「英国の大学いても毎日退屈だったよ。日々の知的刺激なんて、君が夢見ているほどないよ」と言われたのも、個人的には考えされられた。
何より、大学院だけ担当し、教育日が週一日の今の環境を手放されるのか、寝室が三つあるタワマンに暮らしながら、五つ星ホテルで気分転換のワーケーションをしつつ、純資産が毎年500万円増えていく待遇に何の不満があるのか。客観的に比較するならば渡英を目指すのは狂気の沙汰と言えよう。
だが、英国で「刺激」を受け、「挑戦」し、「成長」したいという漠然とした憧れは未だ自分の中に残っているし、面接に呼ばれるたびにその可能性は考えてしまう。
それでも、今の恵まれた環境で自分の研究者としての新しいアイデンティティとそれを裏付ける業績が作り出されており、あと数年はこれらを強固なものにするために費やしたいという思いもある。
英国に向かったはいいが、収入や職場環境が原因で研究者として突き進むためのmomentumが失われたら、本末転倒ではないか。
悩む。
自分は今の環境にいて行う研究と育てる学生に、学術的な意味のみならず社会的・政治的な意味でも非常に意義があると考えており、今はこれを完遂して、自分のlegacyを作り上げることが先決だと思う。
一言で表すならそれは、文化政策・文化産業分野における「方法論としての国際比較と知の脱植民地化」ということになろう。生涯かけて取り組むに値するプロジェクトだ。